シーサーとは
沖縄では家を守る魔除けとされ、昔は屋根大工(ムチゼーク)が漆喰を塗り終わった後、余った漆喰と赤瓦で屋根の上にシーサーを作ったと言われています。
火事除け(ヒーフチャー)として屋根に置かれたり、疫病から守ったり、厄除け、家を守るために入口に向かって置くのが良いとされています。
阿吽(あうん)で対のシーサーは
「あ」口開いたオスは幸せを呼び込むと言われ、向かって右側、「うん」口閉じたメスは入れた幸せを逃さない、魔をよせつけないと言われ、向かって左側に置きます。
工房アマムの琉球漆喰シーサー
斎場御嶽の森に囲まれ、ニライカナイから昇る東太陽(アガイティーダ)のパワーをいっぱい浴びた琉球漆喰シーサー。
伝統の琉球漆喰は、綱引きで使われた縁起の良い稲藁で発酵させており、そこに久高島を臨む知念の砂やホワイトセージの粉と麻炭も混ぜ浄化力をアップしております。そして家を守った昔の貴重な赤瓦を土台にしております。
浜で丸くなったシーグラス、琉球ガラスや貝をあしらった、オリジナルのシーサーです。
お客様のお一人お一人のお幸せを願い、ひとつひとつ祈りを込めてオーダーで作っております。
おかげさまで、たくさんご注文いただき只今3年半待ちとなっております。電話やネットでのご注文はお断りしており、直接お店に来て頂いた方のみのご注文を承っております。
アマムシーサー物語
沖縄民謡が大好きで、こんな素晴らしい唄が生まれたルーツが知りたいと1999年に東京から沖縄やんばるに移住。昔ながらの暮らしをしたいと思い,ご縁あって喜如嘉の築80年の赤瓦家に。
柱や床を代え、囲炉裏やかまどを作り、雨漏りしていたので、村のムチゼーク(屋根大工)だったおじいに屋根修理で漆喰の塗り方を教わりました。
「昔は屋根職人が最後に余った漆喰と赤瓦で屋根の上にシーサーを作って、雨漏りしないとシーサー見て仕事来よったよ。」
とおじいに話を聞き、余った漆喰でシーサーを作り始めたのが最初。
家で三線を弾いていたら向かいのおじいに誘われ、3名のおじいと喜如嘉の地謡(三線弾く係)になりました。
ある時、村の祭りで歌ってほしいけどギャラ無いから、そのシーサー売ったらいいさ~と言われ、売ってみたら、なんとシーサーが全部売れたのです!
それからお祭りで歌う時に持っていき、出展料いらないから売っていいよ、ライブのときに持って行ったらお店で売るよ、ということで、あれよあれよと、いつの間にシーサー作家に。。。
家直しを7年やったところで赤瓦家を大家さんに返すことになり、家探しを始めると「あなたは南部に来た方がいい」と色んな人に言われました。そして不思議なご縁が重なり、2006年斎場御嶽の入口で工房兼お店「工房アマム」をはじめました。
当時ほとんど人もいなくて静かだったのですが、いつの間にか参道になり、こうやって長くお店が続けられるのも、赤瓦家の神様とシーサーが私を守ってくれてるおかげだといつも感謝しています。
工房アマムシーサーの秘密
アマムはアイヌ語で「穀物」。アイヌのアシリレラさんにもらった私の名前です。ここに来てから、沖縄の神様は五穀をもたらしたと言われていて、沖縄では「アマム」は「やどかり」、御嶽を掃除する生物で、沖縄人の先祖とも言われていることを知りました。斎場御嶽が守られ、みんなが豊かに食べれますように、そんな願いを込めた名前です。
お客様のお幸せを願いながらひとつひとつ心を込めた完全オーダーですので、ご注文いただいてから、ご結婚が決まってウェルカムシーサーになった方、長年子供ができなかった方が子宝を授かったり、結婚記念日に届いたり、シーサーを置いたお店や宿は予約がとれない人気店になったという嬉しいお声もいただいております。
また引っ越しの時や、新しく事業を始める時などの節目に届いたり、火事を免れたというお声も何件かいただいております。
たくさんの感謝のお声をいただけて、本当にシーサーを作っていてよかったなと思っています。私自身がシーサーに守られて本当にシーサーに感謝しています。
工房アマムシーサーができるまで
工房アマムのシーサーの作り方をyoutubeで
少しお見せしています。
アマムプロフィール
福岡県生まれ。女子美術大学産業デザイン科卒業
照明会社でプロダクトデザイナーとして就職後、
絵やアクセサリーの道売り、WEBデザイナー経て
日本はじめアジアを旅しながら音楽活動始める。
1999年民謡を勉強したくて沖縄やんばるに移住。
2000年屋根直しからシーサーを作りはじめ
「SeaSar工房ユキ」としてで県内のお店に卸す。
三線は大宜味村青年会エイサーと喜如嘉地謡
2006年南城市斎場御嶽の入口で「工房アマム」設立
シーサーと友達の作家さんの沖縄雑貨も販売。
ケニアのスラムの学校支援の早川千晶さんの講演会企画し、アフリカフェアトレード雑貨を販売.
三線は南城市では奥武島エイサー、玉城獅子舞地謡を経て現在、久手堅組踊保存会の地謡。
影絵の音楽、天玉、アマムでライブ活動もしている。